30代の男性患者は、半年前から右下奥歯の一部が欠けていることに気づいていましたが、痛みがないことを理由に放置し続けていました。当初は数ミリ程度の小さな欠けでしたが、欠けた部分に食べカスが詰まりやすくなり、次第に冷たいものがしみるという症状が出始めました。それでも市販の痛み止めでやり過ごしていましたが、ある朝、激痛で目が覚め、顔の右半分が腫れ上がった状態で来院されました。検査の結果、欠けた部分から侵入した虫歯菌が、露出した象牙質を通り抜けて歯の深部にある神経まで感染を広げ、さらに歯の根の先にまで膿が溜まる根尖性歯周炎を引き起こしていることが判明しました。この段階になると、単に欠けた部分を詰めるだけの治療では済まされません。感染した神経を取り除く根管治療が必要となりますが、奥歯の根の管は非常に細く複雑に枝分かれしているため、治療期間は数ヶ月に及び、その間の精神的・身体的な苦痛は計り知れないものとなります。さらに深刻だったのは、欠けた歯を避けて左側ばかりで噛んでいたことにより、左側の奥歯に過度な負担がかかり、そちらの歯までが知覚過敏を起こしていたことです。また、噛み合わせのバランスが崩れたことで、顎関節症特有のクリック音や肩こりの悪化も報告されました。最終的に、この患者さんは多額の費用をかけて根管治療を行い、土台を立てた上で被せ物をすることになりましたが、もし欠けた直後に受診していれば、小さな詰め物1回程度の治療で済んでいた可能性が極めて高かったのです。この症例は、歯の欠けを放置することがいかにリスクの高い行為であるかを如実に物語っています。お口の中の小さな異変は、氷山の一角に過ぎません。目に見えない部分で進行する細菌汚染や、咬合バランスの崩壊による全身への悪影響は、時間が経過すればするほど深刻化していきます。痛みがない時期こそが、最も効果的で負担の少ない治療を受けられる唯一のチャンスであることを、私たちは再認識しなければなりません。定期的なチェックと早期発見、早期治療の原則を守ることが、結果として自分の体と財布を守る最善の策となるのです。
数ヶ月放置した奥歯の欠けが引き起こした二次被害